1995年(平成7年)秋
九工大部長・山川教授、中野、縄田会談
(ハンガリー、インドネシア留学生の生活実態から留学生の実情の話)
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縄田、中野を中心に「飯塚友情ネットワーク」設立。会長 縄田となる。
二瀬公民館・原館長と協働を約束。自転車提供。
会員募集を始める。
1996年(平成8年)1月
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二瀬公民館内にプレハブ倉庫を建設、贈呈する。
留学生への日常品、テレビ、電気製品、食器、家具提供の為。
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留学生フロント設立支援。
留学生への日本語教育(コミュニティ・無料)。
留学生会への活動費提供(現在も続いている)。
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住宅問題
会員に千々和、橋本、榎本、宮嶋が加わり、活動が広がる。
当初、留学生数人に無料部屋貸しに動くも限界。
飯塚市産学課に依頼。
留学生夫婦の場合、市営、県営アパート入居が可能となる。
2001年(平成13年)
一人の中国人留学生が急性白血病を患い、それを支援(治療、移植)する活動。
2002年(平成14年)
インドの奇形児(片手、両下肢欠損)への電動車いす提供と訓練。
以上2つの事業は飯塚市、市民の援助、協力で行いました。
2005年(平成17年)
飯塚市:留学生のために住居16室準備、入居となる(飯塚友情ネットワークが依頼していた)。
2006年(平成18年)
飯塚:国際化推進協議会(市・民間)設立、縄田が初代会長となる。外国人、留学生交流が推進される。
同時に、留学生日本語スピーチ・高校生英語スピーチ大会が始まる。
お国料理、留学生・ホームビジット、イベント参加など活動は広がる。
2012年(平成24年)
飯塚友情ネットワークとして、福大ブレークスルー活動に参加。留学生部門を担当。
翌年平成25年、その部門が「福岡友情ネットワーク」として独立。巨大都市での留学生支援体制を考えている。
2013年(平成25年)
正田、アメリカシリコンバレーのサニーベール市との友好都市交流の話を提供。飯塚市、教師、教育委員会と協力、サニーベール市との友好都市締結に成功。
民間団体として飯塚友情ネットワークが担当することとなり、飯塚友情ネットワークを法人化。対応することとなる。担当正田。
2014年(平成26年)
サニーベール市よりホームステイ来日。教育委員会と協力、対応。
夏8月、飯塚市の中学生20名、サニーベール市訪問。その際、桜の植樹を飯塚友情ネットワーク主導で行った。